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ベトナム・カンボジア1人旅 カンボジア編 Part1

随分と遅くなりましたが、改めてベトナム・カンボジア旅行記のカンボジア編を書きたいと思います。
今回も前回同様、写真を中心に掲載しますので、カンボジアへ旅行に行こうと考えている人がいましたら、参考までにご覧ください。
(写真はクリックすれば拡大できます)

ベトナムはホーチミンから、シュリムアップ空港に降り立ったのは、現地時刻22時。
雨が降りしきる中、ゲストハウスから迎えに来てくれたトゥクトゥクに乗り、取りあえず腹ごしらえ。
クメール料理で最も有名な、アーモック。ココナッツミルクとカレーペーストをバナナの葉で包んで蒸したもの。(Wiki参照)美味!!
カンボジア3

そしてカンボジアの道中、毎晩お世話になったアンコールビール。Barで飲んでもジョッキ100円という脅威のコスパ。味はさっぱりしていて、非常に飲みやすい。カンボジア滞在の4日間で20リッター近く飲みました。。。

カンボジア2

そして、今回カンボジアの旅の拠点としてお世話になった、ゲストハウスRelax & Resort Angkor。

カンボジア1

仕事を辞めて世界を旅している人、カンボジアに夏休み丸々使って滞在している大学生、1人バックパッカーの女性など、すごく個性の強い旅好きの仲間に出会うことが出来た思い出の場所。1泊9ドルで、洗濯サービスがあって、wifi環境も整っています。

カンボジア4

さて今回旅をしにきたカンボジアについて、少しご紹介します。
カンボジアはインドシナ半島に位置する国で、人口はおよそ1,500万人。植民地や内戦に悩まされた過去を持つカンボジアは、未だに数多くの地雷が埋められていたり、ポルポト政権時代の大虐殺によって、25歳以上の人口が非常に少ないといった環境が影響し、経済の発展が遅れているのが実態です。そのため、アンコールワットのあるシュリムアップは、世界中から訪れる観光客によって経済が成り立っているような状況。教育環境も非常に厳しい状況です。

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交通は徒歩、自転車、自動二輪が主で、乗用車や大型自動車は現地の収入では到底手を出せない代物です。
そのため、自動二輪に台車をつけたトゥクトゥクや、バイクタクシーが移動の際の主となります。

カンボジア7

道路は、中心街を離れると舗装されていない場所が多く、雨が降ると大きな水溜りがよく現れます。
※トゥクトゥクで通ると、倒れそうになります。

カンボジア6

どこまでも続く農地と、透き通った空が印象的でした。

カンボジア5

そして、カンボジアといえば遺跡。シュリムアップから約70キロ、トゥクトゥクで1時間半程度いったところに突如として現れる遺跡が、東のアンコールワットとも称される「ベンメリア遺跡」。
あのジブリ映画の「ラピュタ」のモデルにもなったと言われるベンメリア(真相のほどはわかりません)は、遺跡がひどく崩壊したまま保存されており、まだ全容は地雷の影響もあって明らかになっていませんが、一部遺跡の中を探索できるアドベンチャラスな経験の出来る珍しい遺跡です。

カンボジア11

中の様子。

カンボジア10

ガイドなしで1人歩いていると、現地のガイドが勝手に案内を始めてくれました。※もちろんチップを最後に払います。約1時間ほどの探索で、確か3ドルほど渡しました。(ちなみに、最初は10ドルを要求されたのはここだけの話。。)

カンボジア12

神秘的でなんとも幻想的な空間。※聖剣伝説を思い出しました→わかる人はわかるはず

カンボジア13

カンボジアには、東南アジアの気候からか変わった木が沢山あります。

カンボジア8

ガイドは、何故か木に座らせたがります。笑

カンボジア9

続いて、トゥクトゥクドライバーのおすすめでやってきた、水上生活をしている地域、トンレサップ湖。

カンボジア15

様々な意見があるかと思いますが、トンレサップ湖ツアーは正直違和感を感じました。

カンボジア16

実際にトンレサップ湖で暮らしている人々や学校を、ボートに乗って観察するのですが、まさに人間版動物園。

カンボジア17

途中、子供達が勉強している学校があって、親切にもボートの船上員が立ち寄ってくれて何か寄付をするよう促されるのですが、何かが違う。そもそもボートのエンジン音は子供達の勉強には騒音以外の何ものでもないはず。
観光客が落としていくお金で食い扶持を繋いでいる仕組みは理解しているものの、強烈に襲われるそうじゃない感。

カンボジア18

ジェフリーサックス著「貧困の終焉」にも書かれていましたが、資本主義がもたらした途上国での負のスパイラルを垣間みた気がしました。先進国と呼ばれる(相対的に)経済的に豊かな国々がするべきことは、餌を与え続けることではなく、自分で釣るやり方を教えることのはず。

カンボジア19
(ゲストハウスで毎日開催されている「青空教室」。生徒達は無料で英語の勉強をすることが出来ます。)

これまでの歴史を振り返ると、発展した文化や国の一方には奴隷制度や植民地制度によって抑圧された人々が必ずいました。先進国が成長して来た背景も同じ。僕はゼロサム信者ではありませんが、国家間においてwin-winとなることは珍しく、多くの場合犠牲が伴うものだと理解しています。

そのシステムを変えることは正直難しいし、僕には到底無理だと思っています。しかしながら、未来を担う1人でも多くの子供達に魚の釣り方を教えてあげること、その環境を整備することに一役担うことは出来るはずです。

カンボジア14

改めて、今回の旅を通じて先進国では知ることが困難な途上国の実態をほんの少しではありますが見ることができ、自分自身が人生を通してやるべきこと、自身が掲げる「大成」とは何なのかを真剣に考える良い機会となりました。

26歳と半年。龍馬は26歳の頃脱藩を実行し、ゲバラは28歳の頃革命を決心し、カストロとグランマ号でキューバに上陸しました。

まだまだやれることは沢山ある。これからが勝負。

ベトナム・カンボジア1人旅 ベトナム編 Part2

ベトナム滞在3日目。
朝食は毎回同様近くの屋台でいただきます。
野菜と肉の混ぜご飯。確か50円ぐらい。(名前わかりません)
味も美味しくてコスパ半端ないです。

ベトナム 朝食2

今日は、早朝からクチトンネルツアーに参加します。
安く済ませるならば、現地のシンカフェ等の激安ツアー会社を通じてツアー予約することをお勧めします。
車で2時間程度の距離にあるクチトンネルは確か込み込みで2千円ぐらいだったかと。※ただし、ツアーガイドも英語のみのため、日常会話レベルの英語力は必須かと。

写真は早朝のシンカフェの様子。
ベトナム シンカフェ

朝のベトナム。職場に向かう人々でバイクの大渋滞が生まれます。二人乗り、三人乗り、四人乗りは当たり前。平気で歩道も走ります。笑 日系だとホンダの二輪が人気があり、やはり中国産の二輪は激安のようです。

ベトナム Crowd street

クチトンネルは、ベトナム戦争中に、南ベトナム解放民族戦線 によって作られた全長200kmの地下トンネルネットワークです。周辺には落とし穴などのトラップも数多く見られ、また戦時中は米軍に見つからないように、様々な工夫をして身を潜めて暮らしていた様子を知ることができます。

ベトナム クチトンネル

トラップの一つ。何の変哲もない芝生を米兵が踏むと・・・

ベトナム クチトンネル2

こうなります。
※これ以外にも数多くのトラップがあり、武器や体格では勝てない米兵相手に賢く戦っていた様子が見受けられます。

ベトナム クチトンネル3

そして、クチトンネルの醍醐味といえば、実際に当時の方々が活用していた地下道を通ることが出来るのです。
入り口はこんな感じ。

ベトナム クチトンネル4

トンネルは3階層になっているのですが、通れるのは第一階層。足を曲げてヒヨコ歩きをしてどうにか歩けるようなサイズ。(欧米系の少しふくよかな方々は入れずに、見ているだけでした)
10メートルぐらいですが、狭くて暗くて暑いです。

ベトナム クチトンネル5

クチトンネルツアーは以上ですが、ベトナム戦争の様子が伺える場所ですので是非一度は訪れてみてはいかがでしょうか?また、現地ツアーに参加することによって、海外を旅している外国人の方とも知り合いになることが出来ますので、安い現地代理店を利用されることをお勧めします。

さて、今回は観光がメインですが仕事としてもベトナムの可能性を追求したかったため、ベトナムに進出しているフリーセル社の現法代表ともお話させていただく機会を得ました。
ベトナムの現況や、市場成長性について教えていただき、すごく勉強になりました。
本当にお忙しい中機会をいただき、ありがとうございました。また必ずベトナムいきますので、その際はよろしくお願いいたします。

ベトナム Freesale

さて、ベトナム最後の夜はどのように過ごそうか考えたあげく、夜になると多くのお土産屋、飲食店が軒を連ねるナイトマーケットを堪能し、ベトナムで有名なヤギ肉を食べにいこうと考えました。
1人ナイトマーケット中心部に位置する飲食店で食べ飲みしていると、たまたま相席になったホアさん。
英語で話しかけたところ、何と日本語が返ってきました。実はホアさん、ベトナムの日系企業向け人材紹介会社に勤めており、英語は出来ないけれども日本語は非常に流暢に話すことが出来るとのこと。

ベトナム with ホアさん

ベトナムのHR市場や、日系の進出状況について生の肌感覚を教えていただきました。

ベトナム with ホアさん2

その後、ホアさんと別れを告げ、お目当てのヤギ肉を食べに観光地を外れた現地人御用達のお店に寄りました。
すると、これまた偶然シンガポール在住の日本人(タカさん)と出会い、現地ベトナム人の方々とヤギ肉を突つくことに。

ベトナム with Girls and タカさん

そして、ベトナム最後の夜はバックパッカーの集まるブイビエン通りにタカさんと繰り出し、明け方まで飲み明かすのでした。

ベトナム ブイビエン通り

ブイビエン通りの夜は、ベトナムとは思えない様相。タイのカオサンにどことなく似ています。多くの飲食店、バー、安宿が所狭しと並んでおり、明け方まで盛り上がっています。

ベトナム ブイビエン道理2

ベトナムの旅行記は以上となります。
日本の戦後高度経済成長期と似ていると称されることが最近は多いベトナム。
今回はホーチミン市内を中心としてしか見ることが出来ませんでしたが、皆が必死に暮らしそうと生きている、そんなパワーを感じました。比較的インフラは整っており、携帯の普及率も高いです。

しかしながら、まだまだ市場としては未成熟です。逆に言うと、日本の高い技術力サービスは競争優位となります。
今後、更に成長を遂げるベトナム、そして進出を遂げる日系企業の動向に注目したいと思っています。

次は、カンボジア編に続きます。

ベトナム・カンボジア1人旅 ベトナム編 Part1

今年の夏休みは、丸々一週間使ってベトナムとカンボジアへ行って参りました。
今回も前回タイへ行ったときと同様、ゲストハウスや現地のツアー会社を徹底的に使いこなし、激安の一人旅を敢行しました。

本エントリーには、今回の旅の備忘録として、主には写真を掲載しまくろうと思いますので、お暇な方やベトナム、カンボジアへの旅行をお考えの方は参考までにみていただけると嬉しいです。




ベトナム初日、現地時間夜の10時頃についた私は、とにかくタクシーに乗りベトナムバックパッカーの聖地ブイビエン通りへ向かうことに。(もちろんホテルの予約なんてしていません)
この瞬間から、壮絶な値切り交渉の日々が始まるのですが、空港前のタクシーはベトナムの通貨(ドン)や物価に慣れていないことを良いことに、かなり高値でふっかけてきます。結局、僕は時間を買うつもりで10ドルで行ってもらうことに。(今となっては、10ドルがいかに高かったのかと・・・)

無事、到着し満室のゲストハウスを尻目に10ドルのミニホテルにチェックイン。
とりあえず、長時間のフライトに疲れた体を癒すため近場のバーで一杯。ホーチミンビール約50円。

ベトナム ビール

ベトナム2日目、朝食はブイビエン通り沿いに出ている屋台でフォーのようなヌードルをいただきました。約80円。

ベトナム 朝食

ブイビエン通りとファングーラオ通りを結ぶ小道に多くの激安ゲストハウスが点在します。

ベトナム バックパッカーストリート

この日は、ホーチミン市内観光をしようと、トゥクトゥク、バイクタクシーは使わずに足で移動します。
途中、ファングーラオ通り北方にある公園を歩いていると、ストリート商売をしている若者に遭遇。どうも話を聞いていると私のサンダルを直してくれるとのこと。最初10ドルと言われたのですが、1ドルならOKだと言うとあっさり承諾。途中、サンダル裏側のゴムを張り替えてくれたのですが、これが問題の発端。終了と同時に70ドルを要求してきました。それまでの和やかなムードは一点。(写真は和やかな時)
納得のいかない私は、本気で交渉を実施し、最終的には全部込みで7ドルですみました。苦笑
(この一件のお陰で、交渉がうまくなったのはここだけの話)

ベトナム ぼったくり

ベンタイン市場、お土産や食料品など数多くの商品が所狭しと並んでいます。ちなみに、ここでも値切り交渉が大事になります。大体最初の言い値の3〜4分の1程度で買えます。コツは、店員さんが言い値から少額ずつ下げてくるのに応じず、言い値の3分の1を死守することです。店を離れるそぶりをして追いかけてくれば、買ったも当然。後は先ほどまでの様子が嘘のように、こちらの言い値に合わしてくれるようになります。苦笑

ベトナム ベンタイン市場

ベトナム人民委員会庁舎前。

ベトナム ホーチミン人民委員会庁舎

ベトナム革命を主導した、ベトナム初代大統領ホー・チ・ミン氏の銅像。ベトナムはご存知の通り、フランスの植民地、南北分断、統一というような歴史を経て1976年、現在のベトナム社会主義共和国が創られた歴史があります。ベトナムを独立に導いたホーチミン氏の功績は、後世に亘って語り継がれており、いたるところに看板や銅像が立っています。

ベトナム ホーチミン銅像

ベトナム中央郵便局。この周辺はフランス植民地時代の影響か、フランス式の建物が多くあります。中央郵便局もそのうちの一つ。

ベトナム 中央郵便局

ランチは偶然中央郵便局で出会った、ベトナム航空に勤める方と。商売上はぼったくりも多くありますが、基本的にベトナム人の気質は非常に温和で親切です。この方も(ごめんなさい、名前を忘れました)ぼったくりに合わない術を必死に教えてくれました。笑

ベトナム ランチ with ベトナム航空の人

この後は、統一会堂、戦争博物館へと行きました。写真は撮っていなかったのでありませんが、ホーチミンへ行くことがあるならば必ず見に行かれることをお勧めします。
特に、戦争博物館はベトナム戦争時代にアメリカが枯れ葉剤を撒いた影響により、奇形児が生まれた歴史がリアルな写真とともに展示されており、中でも結合双生児のホルマリン漬けにされた幼児の遺体は直視が難しく、多くを考えさせられる機会を得ました。我々の知らないところで、今もまだ苦しんでいる人々がいることを忘れてはいけません。

ベトナムは、今では先進国の次なる生産地、ないしはマーケットとして注目をされていますが、ベトナム戦争の影響を引きずっている部分が多々あり、丁度戦争時代に命を落とした大人が多くいたため、平均年齢も27.4歳と若いのです。

先進国の成長には往々として後進国の犠牲があります。
生物、文明の発展にも創造と破壊が常にあり、歴史は繰り返されています。
螺旋状の階段を上がるためには、同じ景色を見ることもあれば、光の当たらない階段を上ることがあります。

そんなことを沸々と考えながら、ベトナム旅行記Part1を終了にしたいと思います。

110キロの旅

今年の夏計画していた、カンボジア行きが急遽キャンセルとなり、途方にくれていたのだが、友人からのアドバイスもあり先日鎌倉までロードバイクでひとり旅に行ってきた。勿論、観光も兼ねていったのだが、1番の目的は長距離ロードバイクで走ること。


昨年の秋口にロードバイクを購入したものの、中々50キロを超える長距離ライドを経験していなかったので、僕とっては怖くもある新しい挑戦だった。特に、帰路ではわざわざルート134を通る総距離110キロのライドに挑戦した。


30度を超えるかんかん照りの中、ひたすらに続く坂道に心が折れそうなったり、2度にわたるチェーンの外れに見舞われたり、ルートを間違え余計に長い距離を走ったりしたものの、無事に7時間かけて自宅まで帰ってくることができた。


今回の挑戦は、来月人生初のトライアスロン出走に向けたトレーニングといった意味合いもあったのだが、非常に良い経験となる挑戦だったと感じている。


どんなに勾配な坂道でも必ず頂上があり、下り道がある。
どんなに長い距離でも足を止めることなく前に進めば、必ず目的地に辿り着く。
どんなに辛い道程でもゴールに辿り着けば、かけがえのない達成感を味わえる。



マラソンにしろ、スイムにしろ、バイクにしろ、自分の体を酷使してこそ味わえる境地があるのだと感じる。
そして、それは人生に学びを与えてくれるものであり、生きるための糧となるのだと思う。


人生という長い道には幾つもの山があり、谷があるけど、自分を信じて前に歩みを続ければ必ず目的地に辿り着ける。


大した距離ではないけれども、今回の挑戦を通して改めて自分と向き合うことができ、自信をつけることが出来た。
そして、今まで歩んできた道程を見返し、今自分がどこまで歩んできたのかを確認することが出来た。


あとはまた、前を見て歩き続けます。
Keep walking!!

バックパッカ―の旅inタイランドの歩み(後半)

バックパッカ―の旅inタイランドの歩み(前半)→http://mayway1run2never3.blog83.fc2.com/

さて、引き続き後半の写真をどんどんアップしようと思います。
タイ滞在3日目は早朝から世界遺産アユタヤー遺跡観光ツアーに参加してきました。
この日の詳細はリアルタイムで書いたエントリーがあるので、良ければ見て下さい^^→タイの旅 三日目

上記のエントリーにも書きましたが、この日のツアーは僕の世界観、人生観に大きな影響を与えてくれました。
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仲良くなったチャンさん、ミエさんと3ショット。

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400年以上に渡り王朝の首都として繁栄していた風景を想像しながら、見物しました。

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個人的に気に入ってる一枚。

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よく見たら、左にミエさんが。今気付いたwww
彼女は仕事を辞めて、一ヶ月間タイとオーストラリアを旅しているのだと。
しかも、殆ど英語喋れない。それでも、誰にでもハイテンションで話しかける彼女からコミュニケーションの本質を学びました。

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Really nice view!!!

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バマ出身のチャンさんはプロカメラマン。
世界中を旅していて、今年には日本にもきます。その時は、僕が観光案内する約束をしました♪
He is very very cool!!

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胴体から切り離され野に転がっていた仏像の頭が、木と共に成長したもの。
特に、何かを意味しているといった事は無いのだと。。。

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ワット・プラ・マハタート。
ビルマ軍の猛攻に敗れ長い歴史を閉じたが、当時の栄華が垣間見えます。

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ランチの際に撮った一枚。
個人的には一番気に入っている写真です。
僕はあんまり英語出来ませんが、それぞれ全く違ったバックグラウンドを持つ他国の人々と楽しく会話が出来て、本当に幸せな一時でした。

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ワット・チャイワッタナラム

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ワット・チャイワッタナラム2

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タイ人ツアードライバーとの一枚。

タイ旅行実質最終日となる4日目は、映画「戦場にかける橋」の舞台カンチャナブリ―ツアーに参加しました。
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後ろに見える橋が、WW2の際に日本が連合軍捕虜達に強制労働させて、造られた橋です。
戦争博物館を鑑賞しながら、当時の映像を頭に浮かべていました。

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当時は爆撃によって橋もレールも破壊されましたが、今は復旧し、実際に乗る事が出来ます。
2時間ほど鉄道に揺られながら、旅を通して得た、未知との遭遇、自分の未だかつて知らなかった風物、人物との巡り合い、新しい自分の発見について、ゆっくり考えに更けていました。。。

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ラフティングも経験しました。
ボートの水しぶきで美しい虹が架かっていました。

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イングランド出身の3人組。
この後、仲良くなりました。

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お決まりの象にも乗りました。見てわかる通り、この象はオスです。www

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ツアーからカオサンに戻ると、BANGLAMPOOで祭りをやっていました。
灯篭流しや、かの有名な諸葛孔明が発明した小さな熱気球を空に放つイベントが盛んに行われていました。

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フェスティバル会場にいたタイ美人。

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フェスティバル会場を後にし、初日に知りあったWitと再会。
灯篭流しの方法を教えてもらい、体験しました。
この基盤はパンで出来ていて、川魚が食べるのだそうです。

この後、witに地元ならではの飲み屋に連れてってもらい、最後までタイを満喫しました。。。



こうして、僕の人生初となった1人海外旅行は幕を閉じました。
期間は決して長くはなかったが、この期間に感じた事、学んだ事は本当に大きかった。
言葉の通じない未知の地に、最初は恐怖と孤独を感じ、それを振り払うべく勇気を振り絞って行動した。
また、世界中の人間を目の当たりにし、自分のちっぽけさを知った。
騙される事もあったけど、無償の親切を頂いた。
物乞いする人々を無視する海外旅行者を見ながら、耐えきれず幾度かコインを渡すものの、何の問題の解決にもならない事を知った。
自分は努力してるとか、特別だと思っていたけど、とんでもない勘違いだと言う事を知った。
そして、世界は思いのほか、広い事を知った。


5日目の早朝。カオサンを離れる時、本当に寂しい気持ちになった。
しかし、同時に次はどこを旅しようか無意識のうちに考えていた。
1人旅は人を成長させるとよく聞いていたけど、改めてその言葉の真意を知った気がします。
また、いつかタイに来て、世界中のバックパッカ―と触れ合いたいです。


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Trip is beautiful!!!


プロフィール

姜 大成

Author:姜 大成
姜 大成 / Daesong kang 1987年生まれ
株式会社ビズリンク 代表取締役
ITプロ人材のマッチングプラットフォーム"Bizlink" : http://bizlink.io/
株式会社ビズリンク HP : http://growther.co.jp/
未来の働く"あたりまえ"を創る
売上100億の会社を100個つくる

大学に入るまで一冊も本を読了したことが無いほどの勉強嫌いから、不治の病にかかり入院生活を送った経験、家業の突然の衰退をキッカケに一転して勉学に目覚め、大学時代には3ヶ月間独学で「宅建」を取得し、年間一大行事の論文大会では大学創立以来初の年間3回論文賞受賞を達成。

大学卒業後、某銀行に入社。その間、リーマンショックの煽りを受け、父親の経営する会社が倒産をし、日中は銀行員として融資先の借金返済を迫り、自宅に帰ると借金取りに自宅を囲われる生活を送る。その際に家族が殆どの財産を失う経験をし、銀行の機能では中小企業を救えないことを身をもって経験。

中小企業の倒産をアドバイザーという立ち位置で救いたい一心で、人材大手インテリジェンスの顧問事業立ち上げに営業兼コンサルタントとして参画。年間200社の経営者を新規訪問し、経営改善をするため顧問の活用を提案。入社4ヶ月目には初のトップセールス→2年目後半からは売上トップを維持→最年少リーダー兼ボードメンバーへの参画を担う。インテリジェンス社員5,000名強の内、トップ20名のみが参加可能な海外研修にも選抜。

2015年5月にインテリジェンスを退職し、株式会社Growtherを創業。2019年株式会社ビズリンクに社名変更

生まれた世代所得によって人生のほとんどが決まってしまう世界から、所得に関係なく機会をつかめる世界、本当の成長を喜び、幸せに感じられる社会を目指して、事業を推進しております。

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